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おうちがいちばん

なんでこんなに遠いのか - 尾瀬・燧ヶ岳(1)

 

尾瀬に行こうと決めたのは今年5月頃のことだったと思う。登山友達が燧ヶ岳を提案したとき、そういえば小学生の頃に祖父に連れられて、尾瀬に行ったことを思い出していた。

 

「夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 遠い空」

 

もうかれこれ17年前のことで、それから夏が来る度にあの景色を思い出していた、訳ではない。ただ数年に一度のふとした時に、四方を山に囲まれた尾瀬ヶ原の広大さが頭をよぎり、それは確かに思い出と言うに相応しいだろう。

だからと言って、特別楽しかった旅行ではなかったと思う。登山と写真と自然が好きな祖父は、小学生の自分が楽しめると思って連れてきたのではないと思う。いや、むしろそう思い込んでいたのかもしれない。小学4年生の夏休みにここへ来て、尾瀬ヶ原のボロ小屋に泊まった。家へ帰って、自由研究をこの尾瀬旅行記にすればいいと祖父が提案した。模造紙に油性ペンで尾瀬ヶ原の地図を描いて、それぞれの場所に祖父が撮影した大好きな花や野鳥やらの写真を貼り付けた。今考えてみると、それは動植物の生態に関する最高のフィールドワークに違いないのだけれど、そんなことが小学生の自分に理解できているはずもなかった。9月になって、祖父の自己満足の塊を持って学校に行き、各々の自由研究をクラスで発表することになった。その後の展開は想像に難くない。クラスメイトはみんな「だから一体なんなんだ」と言いたげにポカンとして、見兼ねた担任の先生だけが苦笑いで褒めてくれたあの情景は、この旅行と自由研究を含めた一連の夏休みの出来事の中で最も印象的だった。

そんな私が、17年経った今、最低限の教養と風景への感動を覚えた私が行けば、何か違うのだろうとは考えていた。伊豆大島に行った時、大事にしていた思い出を上書きしてしまうという少しの寂しさを感じたことで、それについては少し臆病になってもいたが、気付けば出発の朝を迎えていた。

 

出発 〜沼田駅

 

朝7時前に新宿で登山友達と待ち合わせた。そこから湘南新宿ラインで高崎へと向かう。早朝のグリーン席ではあったが、三連休の初日のためか座席は7割近く埋まっていた。朝買ってきた新聞を読みながら、電車はあっという間に関東平野の端の端、高崎駅へと到着した。

乗り換えまで時間をつぶす。上越線両毛線やらの路線がある主要駅の割に、高崎駅には改札内には休める場所がない。ぐるっと回ってみると、新幹線の改札がある。在来線の改札内とはうって変わってかなり綺麗に整備され、広い構内になっていた。試しに入場券を買って、新幹線の改札を通ってみることにした。真ん中に広めの休憩所、喫茶。両脇に土産屋とコンビニがあり、ホームに通ずるエスカレーターがある。

 

 

ホームに上がって新幹線を見ながら一服し、戻ってベンチに腰掛けて、それで時間をつぶした。

 

 

なんのことはない。喫煙料と30分の座席料に150円を払ったということだ。友達が「もう二度とここで入場券を買うことはないだろうな」と言いながら入場券を改札に通すと、検札済みの入場券が虚しくぴょこんと飛び出てきた。

乗り込んだ4両編成の両毛線は、たったの4駅だけの乗車となり、新前橋で向かいに停まっている上越線に乗り換えた。この辺りからはだんだんとお仲間が多くなってくる。列車は山間を走り、車窓の左右に景色を変えながら、渋川を通り過ぎて沼田駅へと到着した。

 

沼田駅~鳩待峠

 

沼田駅に降り立つと、駅前はそこそこの広さのバスロータリーと、今や東京ではほとんど見かけないヤマザキショップが。デイリーじゃないやつ。あとは蕎麦屋があるくらいだ。地図で見る限り、沼田はこの辺りでは山に囲まれた盆地の中心地にあたるようだが、どこか寂しい。

 

沼田駅に到着したのが、10時21分。都心から出発して、現実的に来られる一番早いルートがこの行程になると友人は言っていた。ここからバスを乗り継いで、尾瀬の入り口である鳩待峠まで向かうこととなる。1本目のバスは10時40分発だった。

 

 

バスは新幹線の駅、上毛高原始発であり、既に8割がた座席が埋まっていた。バス停の一番前に並んだ我々は、運良く2人がけの席へと飛び込んだ。

バスが急峻な坂道を低いギアで登っていくと、そのうち平地に出た。そこはかなり栄えた国道沿いという感じであった。やはり車社会のため駅前よりも国道沿いの方が発展しているらしかった。今になって地図を見返してみると、上越線のすぐそばには川が沿っていて、やはり駅があるのは少し外れの低い部分にあったということがわかる。中央線の上野原と同じ構造だ。

そこからは1時間ほど微睡んで、ふと目を覚ますと先ほどまで15番くらいしか表示されていなかった整理券番号が、40番まで増えていた。乗客の数はほとんど変わっていない。もう、ハイキングやトレッキングに来た観光客だけになっている。片品というあたりを通るころ、降りる乗客が千円札を持ち合わせていなく、両替できる方はいらっしゃいますかという運転手の声がした。みなそれぞれにポケットをがさごそやって、誰かが五千円分を崩してあげていた。2023年の都心では見かけない、しかし確かに昔はそんなやりとりもあった気がする。

バスは大清水行きだが、鳩待峠へは途中の尾瀬戸倉で乗り換える。

 

 

戸倉も山間の場所にあるが、食事処や宿泊施設が立ち並び、未だ観光地然としている。

意外とここで降りる人は半分もいなかった。降車前のアナウンスの通り、バス停から橋を渡ったところでシャトルバスの料金を支払うことにした。行程を調べたときには、ここから鳩待峠までのバスも関越交通だと思っていたが、そこにバスなどは停まっておらず、数人の老年男性が券売機の小屋と10人乗りのバンの前をうろうろしている。ここでふと、昇仙峡のことを思い出した。あそこでは下の駐車場で降りると、なんの説明もないまま誘導され、勝手に300円を請求された挙句に影絵美術館のある方へのバンに載せられる。確かに、昇仙峡は高低差のある観光地なので、二ヶ所の拠点のどちらかに自家用車で来ると、行きか帰りは必ず登らなければならな苦なる。そのため、下から上へと行く乗合タクシーに乗る人は多い。とはいえ、もう少し説明があってもよかろうと、初めて行った時には面食らったものである。

しかし心配とは裏腹に、ここのバンは鳩待峠へと行くシャトルバスで料金も事前に調べていたものと同じであったので、安心して乗ることにした。ワークマン風のベストを着て、フレームは白で上側だけの、色付きのメガネをかけた、いかにも田舎のヤンチャなおじさんの運転だった。前に掛けられた名札を見ると、いかにも地元の苗字だろうという具合だった。しかし、運転そのものは穏やかだったし、到着してからの案内も妙に優しい口調で、同乗した9人はなんだか和やかに鳩待峠へと向かった。

書き忘れていたが、戸倉以降はマイカー規制となっているようだ。シャトルバスで普通車とは何度かすれ違ったため、自家用車で行けるが鳩待峠に駐車場はないということかもしれない。そのため、戸倉のシャトルバスの発着場の傍には広大な駐車場がある。

 

 

シャトルバスを降りてすぐに、鳩待峠の休憩所へと着いた。休憩所の前で工事があり、新しく建物が建つようで、鉄筋の基礎が剥き出しになっていた。なんだか落ち着かないなぁと思いながら、軽い昼食を取るため安全用の囲いがなされたベンチに座った。

 

ふと時計を見るとこの時点で、12時30分過ぎ。今朝の起床は朝5時だった。

とはいえ、この7時間半は乗り物に乗っていただけだ。ただ、乗ったら連れてこられただけの荷物と変わらない。つまり、今日はまだ何もしていない。ソフトクリームが売っていたって、食べるに足る疲労感でもない。今この荷物が当分を摂取したところで、満足度も低かろう。

「しかし、遠いな…」

友人は私の言葉に頷いて、おにぎりを飲み込んだ。