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おうちがいちばん

初めての暗道、初めての東北 - 尾瀬・燧ヶ岳(3)

 

登山開始

朝5時前に目が覚めたとき、身体中が心地の良い疲れに包まれていた。

枕元にはお盆、その上に紙の包みがふたつとポットがあった。友人に聞くと、昨夜宿の人が運んできた今日の朝食ということだった。

ポットからお茶を1杯くんで飲み、布団を整えて小屋を後にした。

 

 

暗いうちから登山をするのは初めてだった。友人からヘッドライトを持ってくるように言われていたので、忘れず頭にかけて、小屋の裏の林の中へと潜っていく。

 

尾瀬ヶ原から燧ヶ岳へと続く道は、何十年もの間に途絶えてしまったり新たに開通したりを繰り返しているらしい。今日登る道は見晴新道という道で、ここ10年ほどでできた道だった。雨が降るとぬかるみがひどいらしく、昨夜の雨でどれほど悪化したのか、行ってみないとわからない。

尾瀬ヶ原と同じ木道を進んでいくと、すぐに尾瀬沼との分岐に差し掛かる。

そこからは、確かにぬかるみのひどい道が続いていた。見晴新道というよりも、ぬかるみ新道と呼んであげたいくらいだ。ぬかるんでいない端の方を進みながら登っていくと、次第に切り残した笹の茎が道に広がり始める。なるほど、確かに出来て日の浅い道のため、笹を刈った跡がそのまま剥き出しになっている。そして、刈ったらそのあたりに散らばしているので、痛い思いをして笹の上を歩くか、滑るリスクがあるまま笹の上を歩くのか。

しかし、文句は言ってはいけない。どんな道だろうと、そこをならしてくれる人がいて、小屋で働く人がいて、歩荷さんが食事を届けてくれる。登山も、宿泊も、すべて趣味の範囲なのだから、感謝しなければいけない。

文句が出るとすれば、自分自身にだ。なんでこんなところ来てしまったんだろうなぁと、何度も頭の中を駆け巡る。

 

 

登山が終わってこうして振り返ると、上りのことはなんでもなかったように感じてしまう。この思考回路は二郎系ラーメンに近い。その場では二度といくもんかと独言ているのに、何日かすると達成感だけが尾を引いて、また行かなければいけない気がしてくる。

 

気づくと、8合目という看板が出てきた。時間の流れとともに視界の明るさが上がり、周囲の植生が変わっていく。視界が開けたと思ったら、ハイマツに囲まれた塹壕のような道を進んでいく。塹壕から抜けてハイマツよりも高くなったと思うと、物凄い速さで流れる雲と、同じ高さにいることに気づく。テラコッタ色のガレ場の道を進んでいく。尾瀬ヶ原に流れる小川にも、同じ色の石が堆積していたのを思い出した。

 

 

次第に、周囲の景色が眩しくなる。瞳孔が開いたまま閉じないような、太陽を直接みた時の残像で視界が覆われている感じがして、目の前の景色は見ているのに、ちゃんと見えていない。

もしかしたら、これが高山病なのかと思ったが、その後帰って調べても同じような症状はないらしい。単に急に視界が開けて眩しかっただけなのかもしれない。

山頂の少し前のひらけた場所で小休止した後、最後の力を振り絞って、二人は柴安嵓に到着した。

 



行きにくいからこそ価値がある - 尾瀬・燧ヶ岳(2)

帰ってから今日調べていたら、尾瀬ヶ原がダムに沈む治水計画があったそうだ。

その水利権を持っていたのは、のちに東電となる会社で、そういえば東電小屋という小屋があったのを思い出す。群馬県内の木道にも、東京電力のマークが入っていた。

ダムの底に沈まなかったからこそこれほどのいい景色に出会えた訳で、ありきたりだけれど、小さな感動を覚えた。

 

鳩待峠〜山の鼻

 

 

鳩待峠から山の鼻までは少し長い下り坂となる。

鬱蒼とした森に足を踏み入れてすぐ、ならされた階段と木道を進むことになった。

 

 

道端には、トリカブトが咲いている。綺麗な花を付けてはいるが根元には毒があるらしい。

また、時折ブルーシートを被せ玉掛けの支度がしてある、人の背丈ほどの立方体の荷物が落ちているのを見かける。後で知ったことだが、これは木道の材料らしい。同じように、ブルーシートを被らずに剥き出しになった長い木道の素材もそこら辺に落ちている。どこから持ってきたのかと思うが、ヘリで運んだものらしい。

道は谷間の川と同じ高さまで下っていく。途中、幾人ものラフな格好の観光客とすれ違う。あちらが普段の格好でいられると、途端にこれから登山をしますよという装備のこちらが恥ずかしくなってくる。戸倉まで車で来て、バスで鳩待峠に乗り継いで、尾瀬ヶ原を歩くというカジュアルな観光をする人たちなのだろう。

 

 

太い樹木の森を抜けると、ビジターセンターの前に出た。

 

山の鼻〜尾瀬ヶ原

 

ビジターセンターの中には、さまざまな動物の毛皮が展示してあり、直接触ることができた。そこに、クリアファイルに入ったコピー用紙が置いてあり、よく読んでみると熊の出没情報だった。ここ数ヶ月で何十回もの目撃があったらしいし、尾瀬ヶ原のど真ん中にも出没マークがある。おいおい、大丈夫なのかここは…と不安になりながらビジターセンターを出ると、尾瀬ヶ原に通じる道のすぐそばに鹿がいた。

 

 

人々が群がって写真を撮っているが、いくらなんでも人慣れしすぎじゃなかろうかこの鹿は。

こんなところまで来て、人と同じように写真を撮りたくない。(だからこの写真は友人が撮った。)歩いて行くと、すぐに開けた湿地帯へと出た。

 

 

 

 

そこにはただ広い湿原と、長く伸びる2本の木道だけがある。

左右の名前も知らない山、前には明日登る燧ヶ岳、背後には至仏山が聳える。

広いのに、子供の頃よりもやはりどこか狭く感じて、しかし遠くの景色に眺め入ってしまう。空には千切ったかたまりの雲がいくつも流れていて、遠くの方の木道の伸びていない場所を、明るくしたり暗くしたりしている。

遠く行きにくい場所の尾瀬だからこそ、わざわざ行くだけの価値があるのだと改めて思う。

ふと木道の足元を見ると、水たまりというには少し水が綺麗すぎる、湿地の水が留まっている。かと思えば、いきなり傍に池と呼べるくらいの大きな沼が出現する。

 

 


沼には蓮が浮いていて、いくつか花をつけている。

 

沼を見終わったら、また視線を遠くに移す。歩いた分だけ少しずつ燧ヶ岳が近づいて、至仏山が遠くなる。そんな景色が延々と繰り返されて、ちっとも飽きない。飽きないのはいいが、どんどん歩くペースがゆっくりになってしまう。

 

 

遠くに、雲の切れ間から陽の光が差している。

軽い休憩を挟みながら、景色を十分に堪能したところで、小屋が一軒だけ見えてきた。その後ろは森になっていて、もう尾瀬ヶ原の端まで着いたのかと疑問に思った。近づいてみると、そこは竜宮小屋で、今日宿泊する小屋まではまだ道半ばだった。ここで湿原がいったん森に遮られるのが不思議だ。そして、おそらくここより先には行ったことがない。もしかしたら、小学生の頃はこの竜宮小屋に泊まったような気もする。

 

 

小屋のそばを抜けると、橋がかかっていて、そこが群馬県福島県の県境になっていた。

福島県側に入ると、木道がひどく荒れていて、そしてなぜだか天気が悪い。数百メートル行ったところで、大粒の雨が降りはじめ、我々は慌ててレインウェアを取り出した。

そこからは二人なにも喋らず、荒れた木道をひたすら歩き続けた。2本ある木道のうち、どちらか1本は歩ける状態になく、左右に飛び移りながら、燧ヶ岳の方向へと進んでいく。先ほどまでも思っていたが、燧ヶ岳に近づくにつれて、段々とあんなに高い山に登れる気がしなくなってくる。近くで見ると、ものすごい圧迫感だ。

 

 

そうして無言で歩いていると、正面に何軒もの小屋の集まった箇所まで到着した。今日泊まるのは、木道から入って真正面の彌四郎小屋である。雨は少し弱くなっていた。

 

彌四郎小屋

 

本館正面の玄関のすぐ脇に、記帳するスペースがあり、それを受付の小屋番に渡し、宿泊料を払って夕食と風呂の説明を受ける。燧ヶ岳への登山道はぬかるみがひどいと登れたものではないらしく、もしかしたら明日は行けないかも、と言われた。朝5時に出発するため、朝食はとれないことを告げると、慣れた感じで軽食にして夜のうちに渡すと言ってくれた。

 

 

個室の部屋は別館であった。部屋が埃っぽかったためか、私だけくしゃみが止まらなかったが、それ以外にはなんの不満も無い、むしろこんなに至れり尽くせりでいいのかというほどのいい小屋だった。風呂は循環式ではないが、シャワーからお湯がちゃんと出るし、シャンプーもボディーソープも備え付けだ。先人たちのカケラが浮いているのが嫌なら、さっさとチェックインすればよいだけのこと。食事も、おひつに入ったご飯は少なめだが、そんなもの山の中なのだから仕方がない。そしてその割におかずは豪華で、どれを食べても美味い。風呂に入って晩飯を頂いて「いやぁ、贅沢だなぁ」と呟くと、友人は激しく同意していた。伊豆大島で泊まったあの奇妙な宿とは、比べるのが失礼なくらいだった。

18時にはやることがなくなって、二人して微睡んでいた。色々身支度をして、19時過ぎには寝てしまったようだ。日が暮れてからも、外では屋根を伝って落ちる雨粒の音がしたり止んだりを繰り返していた。

 

なんでこんなに遠いのか - 尾瀬・燧ヶ岳(1)

 

尾瀬に行こうと決めたのは今年5月頃のことだったと思う。登山友達が燧ヶ岳を提案したとき、そういえば小学生の頃に祖父に連れられて、尾瀬に行ったことを思い出していた。

 

「夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 遠い空」

 

もうかれこれ17年前のことで、それから夏が来る度にあの景色を思い出していた、訳ではない。ただ数年に一度のふとした時に、四方を山に囲まれた尾瀬ヶ原の広大さが頭をよぎり、それは確かに思い出と言うに相応しいだろう。

だからと言って、特別楽しかった旅行ではなかったと思う。登山と写真と自然が好きな祖父は、小学生の自分が楽しめると思って連れてきたのではないと思う。いや、むしろそう思い込んでいたのかもしれない。小学4年生の夏休みにここへ来て、尾瀬ヶ原のボロ小屋に泊まった。家へ帰って、自由研究をこの尾瀬旅行記にすればいいと祖父が提案した。模造紙に油性ペンで尾瀬ヶ原の地図を描いて、それぞれの場所に祖父が撮影した大好きな花や野鳥やらの写真を貼り付けた。今考えてみると、それは動植物の生態に関する最高のフィールドワークに違いないのだけれど、そんなことが小学生の自分に理解できているはずもなかった。9月になって、祖父の自己満足の塊を持って学校に行き、各々の自由研究をクラスで発表することになった。その後の展開は想像に難くない。クラスメイトはみんな「だから一体なんなんだ」と言いたげにポカンとして、見兼ねた担任の先生だけが苦笑いで褒めてくれたあの情景は、この旅行と自由研究を含めた一連の夏休みの出来事の中で最も印象的だった。

そんな私が、17年経った今、最低限の教養と風景への感動を覚えた私が行けば、何か違うのだろうとは考えていた。伊豆大島に行った時、大事にしていた思い出を上書きしてしまうという少しの寂しさを感じたことで、それについては少し臆病になってもいたが、気付けば出発の朝を迎えていた。

 

出発 〜沼田駅

 

朝7時前に新宿で登山友達と待ち合わせた。そこから湘南新宿ラインで高崎へと向かう。早朝のグリーン席ではあったが、三連休の初日のためか座席は7割近く埋まっていた。朝買ってきた新聞を読みながら、電車はあっという間に関東平野の端の端、高崎駅へと到着した。

乗り換えまで時間をつぶす。上越線両毛線やらの路線がある主要駅の割に、高崎駅には改札内には休める場所がない。ぐるっと回ってみると、新幹線の改札がある。在来線の改札内とはうって変わってかなり綺麗に整備され、広い構内になっていた。試しに入場券を買って、新幹線の改札を通ってみることにした。真ん中に広めの休憩所、喫茶。両脇に土産屋とコンビニがあり、ホームに通ずるエスカレーターがある。

 

 

ホームに上がって新幹線を見ながら一服し、戻ってベンチに腰掛けて、それで時間をつぶした。

 

 

なんのことはない。喫煙料と30分の座席料に150円を払ったということだ。友達が「もう二度とここで入場券を買うことはないだろうな」と言いながら入場券を改札に通すと、検札済みの入場券が虚しくぴょこんと飛び出てきた。

乗り込んだ4両編成の両毛線は、たったの4駅だけの乗車となり、新前橋で向かいに停まっている上越線に乗り換えた。この辺りからはだんだんとお仲間が多くなってくる。列車は山間を走り、車窓の左右に景色を変えながら、渋川を通り過ぎて沼田駅へと到着した。

 

沼田駅~鳩待峠

 

沼田駅に降り立つと、駅前はそこそこの広さのバスロータリーと、今や東京ではほとんど見かけないヤマザキショップが。デイリーじゃないやつ。あとは蕎麦屋があるくらいだ。地図で見る限り、沼田はこの辺りでは山に囲まれた盆地の中心地にあたるようだが、どこか寂しい。

 

沼田駅に到着したのが、10時21分。都心から出発して、現実的に来られる一番早いルートがこの行程になると友人は言っていた。ここからバスを乗り継いで、尾瀬の入り口である鳩待峠まで向かうこととなる。1本目のバスは10時40分発だった。

 

 

バスは新幹線の駅、上毛高原始発であり、既に8割がた座席が埋まっていた。バス停の一番前に並んだ我々は、運良く2人がけの席へと飛び込んだ。

バスが急峻な坂道を低いギアで登っていくと、そのうち平地に出た。そこはかなり栄えた国道沿いという感じであった。やはり車社会のため駅前よりも国道沿いの方が発展しているらしかった。今になって地図を見返してみると、上越線のすぐそばには川が沿っていて、やはり駅があるのは少し外れの低い部分にあったということがわかる。中央線の上野原と同じ構造だ。

そこからは1時間ほど微睡んで、ふと目を覚ますと先ほどまで15番くらいしか表示されていなかった整理券番号が、40番まで増えていた。乗客の数はほとんど変わっていない。もう、ハイキングやトレッキングに来た観光客だけになっている。片品というあたりを通るころ、降りる乗客が千円札を持ち合わせていなく、両替できる方はいらっしゃいますかという運転手の声がした。みなそれぞれにポケットをがさごそやって、誰かが五千円分を崩してあげていた。2023年の都心では見かけない、しかし確かに昔はそんなやりとりもあった気がする。

バスは大清水行きだが、鳩待峠へは途中の尾瀬戸倉で乗り換える。

 

 

戸倉も山間の場所にあるが、食事処や宿泊施設が立ち並び、未だ観光地然としている。

意外とここで降りる人は半分もいなかった。降車前のアナウンスの通り、バス停から橋を渡ったところでシャトルバスの料金を支払うことにした。行程を調べたときには、ここから鳩待峠までのバスも関越交通だと思っていたが、そこにバスなどは停まっておらず、数人の老年男性が券売機の小屋と10人乗りのバンの前をうろうろしている。ここでふと、昇仙峡のことを思い出した。あそこでは下の駐車場で降りると、なんの説明もないまま誘導され、勝手に300円を請求された挙句に影絵美術館のある方へのバンに載せられる。確かに、昇仙峡は高低差のある観光地なので、二ヶ所の拠点のどちらかに自家用車で来ると、行きか帰りは必ず登らなければならな苦なる。そのため、下から上へと行く乗合タクシーに乗る人は多い。とはいえ、もう少し説明があってもよかろうと、初めて行った時には面食らったものである。

しかし心配とは裏腹に、ここのバンは鳩待峠へと行くシャトルバスで料金も事前に調べていたものと同じであったので、安心して乗ることにした。ワークマン風のベストを着て、フレームは白で上側だけの、色付きのメガネをかけた、いかにも田舎のヤンチャなおじさんの運転だった。前に掛けられた名札を見ると、いかにも地元の苗字だろうという具合だった。しかし、運転そのものは穏やかだったし、到着してからの案内も妙に優しい口調で、同乗した9人はなんだか和やかに鳩待峠へと向かった。

書き忘れていたが、戸倉以降はマイカー規制となっているようだ。シャトルバスで普通車とは何度かすれ違ったため、自家用車で行けるが鳩待峠に駐車場はないということかもしれない。そのため、戸倉のシャトルバスの発着場の傍には広大な駐車場がある。

 

 

シャトルバスを降りてすぐに、鳩待峠の休憩所へと着いた。休憩所の前で工事があり、新しく建物が建つようで、鉄筋の基礎が剥き出しになっていた。なんだか落ち着かないなぁと思いながら、軽い昼食を取るため安全用の囲いがなされたベンチに座った。

 

ふと時計を見るとこの時点で、12時30分過ぎ。今朝の起床は朝5時だった。

とはいえ、この7時間半は乗り物に乗っていただけだ。ただ、乗ったら連れてこられただけの荷物と変わらない。つまり、今日はまだ何もしていない。ソフトクリームが売っていたって、食べるに足る疲労感でもない。今この荷物が当分を摂取したところで、満足度も低かろう。

「しかし、遠いな…」

友人は私の言葉に頷いて、おにぎりを飲み込んだ。

 

大島旅行記-8

大島一周道路

裏砂漠を出て、もう行きたいところはない。あとは今日15時に出る船の出港まで、気の赴くままにぶらつくしかない。

せっかく自由に移動できるバイクを手に入れたのだから、このまま大島を一周してしまおう。

ここから波浮港まで南下して、昨日バスで通った道を行けば大島一周道路で元町へと戻れる。だがそれではつまらない。私はどこへ行ってもそうだが、来た道を同じように戻るのはできるだけ避けたい性質なのだ。

波浮までいく途中で西へ行く分かれ道がある、月と砂漠ラインという道らしい。とりあえず、こちらを走って行ってみようと考えた。今地図を見てちゃんと振り返ってみると、この道はどうしたって元町の方へ通り抜けられない。月と砂漠ラインの終点には駐車場があって、そこからまた三原山への登山道になってはいるが、そこで行き止まりだ。どうやらその先に航空局の建物もあって、それはそれで地図上で見ると面白そうなのだが、そこへの入り口はこうなっていた。

 

 

当然、立ち入り禁止である。いくら都心から離れた田舎の山の中でも、そうそう一般人が入れないというところはいくつかある。そういう場所の一つだ。

実は、もう少し南に、島の西側に抜ける山道があって、その時はそれと混同して居たのであろう。ともかく、登山にも用がなく、大層な名前の付いた道の割りにはそれほど眺望もないので、駐車場まで着いたらピストンで一周道路へ戻ってきた。そのとき島の西側へ抜ける道がないのだと勘違いをし続けて居たから、仕方がない、波浮まで行くことにした。昨日の雨の中で見る人気のない波浮も良かったが、せっかく晴れたのだからその姿も見ておきたい。

 

晴天の波浮港

10分ほど走ったところで、波浮港の見晴台へと着いた。

 

 

二車線の道路に急に現れた、港を見下ろす高台だった。道路から急階段で少しだけ降りて、眼下に小さな港町が広がる。周りに生えてる針葉樹も、松だろうか、趣がある。

 

 

昨日雨の中で降りたバス停のすぐ脇に、今日は船が止まっている。船の種別は分からないが、今改めて、ただの漁船じゃないようにも見える。

 

 

昨日コロッケを買いに寄った鵜飼商店も、その後歩いた港の端も見える。

少しの間、港を眺めて、またバイクへ跨った。

 

空港と牧場と珈琲

15kmほど、島の周囲を止まらずに走った。

ほとんど元町のそばまで来てしまったが、まだ時刻は13時くらいで、今すぐバイクを返してしまっても勿体無い。それならばと、元町を通り過ぎて、北側の空港の方へと向かった。昨日から元町と岡田の間を行き来ばかりしていて、大島ストアの前を通るのは、もう何回目だろうか。

一応まだ回っていないスポットを調べてみて、ぶらっとハウス、というのが出てきた。牧場のそばでスイーツがあって、一応野菜などの直売所にもなっているらしい。そういえば明日葉のお茶をお土産に買っていく予定だったので、あるだろうか、寄ってみることにした。

 

 

家族連れが結構いた。男一人に、冷ややかな目線が注がれているのか、どうかは分からないが、バイクを停めて建物の中に入ってみた。ずらっと野菜が並んでいる。地元の人が話している。

そこで、明日葉のお茶を買った。お花や地の野菜も買ってみたかったが、持って帰るのに嵩張らない、なぜだかちょっと欲しくなった唐辛子のパウダーだけを買って出た。ソフトクリームかジェラートでも食べれば良かっただろうか。ただ、このあと元町でバイクを返して岡田へのバスに乗らなければならない、と少し気がせいていた。さすがにジェラートは、家族連れの視線も数倍痛いだろう。

 

 

空港のそばを通って、元町へと戻る。

途中で信号を右折する時、目の前の家屋のガラス戸に自分の姿が映った。スクーターに男が乗ると、どうしたってヤンキーに見えるが、謎に姿勢良くリュックを背負っていて、でも半ヘルなのだ。不思議な見た目だ、と自分で可笑しくなった。道中、朝聞いておいたガソリンスタンドで満タンに給油する。都心と比べると、ずいぶんと高い気がしたが、そこはバイクの燃費でカバーである。

元町のレンタルバイク店に戻って、バイクを返却した。前回も言ったが、ここでは返却時の車両点検もされない。ここ置いといてください、と言われてそれで終わりだった。そんな適当な感じかとわかると、人間強欲なもので、一日のレンタル料が少し高いなと思い始めた。原付二種のバイクは、50ccに比べるとかなり高い。だいたい、原付二種を借りる人なんてほとんどいないんだから、原付が予約で埋まっていて二種を持て余すなら、原付と同じ値段で貸してくれても良いのに、と思った。

さて、13時半、少し急いでいた割にはパッと暇になってしまった。15時過ぎに岡田から船が出る、そして元町から岡田までのバスは14時半に出発するので、1時間ほど暇になった。どこか喫茶店でもないかと辺りを見回していると、向かいの土産物屋の2階にある。階段を上がる前から、不思議な感じの雰囲気のする喫茶店だった。

 

上がってみると、木のベンチとテーブルが並んだ、柔らかい感じの喫茶店だった。お客さんは数人いて、店のご主人が客席に座った奥さんらしき人と仲よさそうに喋っている。座ってメニューを見ると、大島にちなんだダジャレの珈琲が何種類もあった。味はどれも美味しいだろうから、好きな裏砂漠の名の付いたものを頼んだ。小さいケーキの切れ端をサービスしてくれた。窓辺に、ローライフレックスかローライコードか、二眼レフが飾ってあった。

ご主人は優しいが少し変わった人だ。面白いけど圧が強くて、人を選ぶタイプだ、私は別に苦手ではないのだが。気になって、昨日見た波浮の建造途中の建物について、一眼で撮った写真を見せながら聞いてみたが、どうにも詳しいことはわからないようだった。テーブルに島の新聞が置いてあって、4ページしかない。そこにもその建物のことは載っておらず、あっという間に読んでしまった。私が珈琲を飲んでいる間に、一人お客さんが来て、そして先にいた奥さんだと思って居た人は、実はただの常連さんで、二人ともお会計をして帰ってしまった。そうして客は私一人になってしまった。時計を見ると、確かにバスの時間が近づいている。私も乗り遅れてはいけないと急いでお会計をしたが、名刺くらい大きさの紙に名前を書いてほしいと急に言われた。そういえば他のお客さんも書いていたなと、どうもご主人はバインダーにそれを集めていて、なるほどそういうタイプのお店かと、急いだ字で書いて喫茶店を出た。出てから、咄嗟に言われたので本名にしてしまったが、あだ名にすればよかったんじゃないかという気持ちになっていた。

 

帰宅

元町から岡田へ向かうバスは満載だった。プラスチック容器のドリンクを持ったまま乗り込むさして若くもない4人組が一緒に乗り込んだ。彼らはバスが走り出しても、俺の前の席でずぞぞぞと音を立てていた。もう中身はないのに啜ると出るあの音を、いつまで経っても鳴らしていた。なんだかいい大人になって、そんなことしないよなと呆れて、でも島の奔放さに当てられたのだろうか、苦笑いして心の中で許してしまった。

岡田に着くと、昨日の朝散り散りになっていった人たちがまた集結していた。港の外の土産物屋に行列ができている。何か買って帰らなければいけないだろうか、そういえば善菓子屋で岡田のターミナルの中の土産物屋があると聞いたので、そちらに行くことにした。

 

 

岡田港のターミナルは1日半ぶりだ。この建物の2階にも土産物屋があって、ここで牛乳煎餅を買おうかと思ったが、この小さな売店も、廊下にまでずらっと行列ができていた。旅の終盤に来て、並んでもいないのに徒労感に包まれて、諦めて桟橋の方へと向かった。

 

 

ジェット船が何隻も泊まっている。一応時刻ごとに違った船らしく、間違えて恥ずかしい目に遭いたくないので、手に持った乗船券と船員の案内の言葉を何度も繰り返し確認して、手前のピンク色の船に乗り込んだ。

船の中に入ると、一列に10席くらい並んでいてせせこましい。私は乗船券に指定された通り、一番前の列の真ん中に座った。モニターで島のCMやら航海の案内を流していたが、あまりにも真上すぎて見ていると首が痛くなりそうだった。次第に、皆が乗り込んで、船が出航する。私はワイヤレスイヤホンを着けて、壁に向かって遠くを見つめた。

 

この旅はなんだったのだろう。

思い返してみると、最初は負の感情だった。懐かしい思い出を、人に踏み荒らされるような気持ちになったという、ただただ意地を原動力にした弾丸の旅行である。

実際に見た大島の景色は、当たり前なんだけれど、子供の時に比べて全て小さくなっていた。そして、こんなことは認めたくないが、認めざるを得ない。大人になって、感情を揺さぶられるほどの出来事や景色というのは少なくなった。よっぽどのことでは驚かないし、印象に残ることも少ない。今回の旅で見た景色は、子供の頃に見た景色を確かに上から塗り替えたのだが、元の思い出ほどに印象深く残らないまま消えてしまうだろう。いくらしがんでも、高画質の写真が残っているとしても、1年ほどで味がしなくなると思う。

でも、行けばいいのだ、と今は思う。思い出せないなら、忘れてしまうなら、忘れられないぐらい頻繁に行けばいい。一月前に旅行の予定を決めても弾丸で行ける場所なのだ。しばらくは、今回の感動すら薄れてしまうから行かないだろうけど、懐かしくなったらまた行けばいい。大人になるというのは、そういう自由なお金が増えることだ。そしてまだまだ人生は長い。きっと、だんだんと感動するポイントも変わっていく。それが分かっただけでも、今回の旅は意味があった。

船が高速航行になって、私はすぐに寝てしまった。起きた頃には東京湾内に入っていて、横浜に寄ったのかどうかもよく分からなかった。まどろんでいる間に竹芝に到着して、タラップを渡ってターミナルへ入った。入ったが、最短距離で出口から出た。家に帰る足取りというのはいつもこうだ、意外と直後にしがんだりはしない、家が一番なのだから早く帰りたいのだ。でも一応、来る時にもさるびあ丸を撮った同じ場所から、最後にジェット船の写真を撮って私の旅は終わった。

 

 

大島旅行記-7

いざなみ

 

 

バイクを飛ばしてお店に到着した。

のぼりに寿司と書いてあるが、入り口の窓ガラスにはPanasonicと書かれている、そう、どうみても店の風体は電気屋だ。本当にこんなところで、寿司が食べられるのだろうか。

中に入ってみると、厨房が区切られていて小さな窓がある。そこに一人前の寿司が何箱も並べられていて、その目の前の小窓の奥で何人もの板前さんが握っている。少し挨拶をして、寿司を眺める。ところが色とりどりの詰め合わせはいっぱいあるのに、島寿司がない。左を見ると、こちらにも小窓があってレジになっていた。そこに立っていたご婦人に聞いてみると、あ、今ちょうどひとつできますよ、と応えて用意してくれていた。いや、本当に情けないことなのだけれど、島寿司以外もとても美味しそうで、島寿司を選んだことをふんわりと後悔しかけた。ご婦人から一人前と箸の入ったレジ袋を受け取って、1500円もしなかっただろうか、お代を払った。用意してくれている間、板前さんに肩から下げたカメラを指されて、山を撮りにきたの?と訊かれた。あぁ、これ、そうですね、いや何を取るかは全然決めてないんです、気まぐれで、と気のない返答になってしまって、会話は一往復で終わった。お店を出て、スクーターのフックにレジ袋を引っ掛ける。

まだ寿司を食べてないのに、ものすごい満足感だったと思う。自分で調べてあまり人気のないお店を見つけて、そこがあまり人気がないしっかりとしたいいお店で、昨日の朝から島の人とコミュニケーションをほとんどとっていなかったのが、拙いながら少し話ができて、天気は晴天でバイクに乗れる。こんなにいい日はない。そして、この島の旅で(私の中では)ほとんどメインスポットとなっている、三原山の裏砂漠へと向かった。

 

裏砂漠

バイクの道中ではもちろん写真を撮れないので、行く道すがらについてはあまり思い出せることがない。大島一周道路を、ひたすら外回りで爆走していった。途中で陸側に入り、上り坂に差し掛かるところで、椿園か動物園か、観光地があった。少し人の入りがあったと思う、だけどそこを素通りした。そこから道は段々と人気のない森の中へ入っていった。それほど背の高くない木々が、道路の真上まで伸びてきて、自然のトンネルのようになっている。

ふと開けたところに、小さな看板と、円筒形のオブジェがある。唐突に現れたここが、裏砂漠への入り口だ。

 

 

数年前、記憶を頼りにGoogleマップでこの景色を探していた。ストリートビューで島中の景色を追って行って、ここを見つけ出して、お気に入りのリストへ追加した。そう、何年も前からここに再び来ることを夢見ていたのだ。

円筒形のオブジェは、オブジェではない。おそらく噴火したときのための、土石流や火砕流を避けるための避難所である。だから山頂の中心側に壁が来るように配置されているのだろう。そういう理由が分かれば、なんの不思議なこともないのだけれど、やっぱり子供の頃のこの避難所はとてつもなく異様に見えた。

看板のところから、山へ向かって道が伸びている。

 

 

子供の頃、この道を通って三原山から下山した。

三原山にはいくつかの登山ルートがある。家族旅行で来たときは、表のルートから登って、裏からこの道へと降りてきたはずだ。山を登り始めた時は人気があったのに、裏砂漠は何もない、誰も居ない、ただ一緒に歩く父と母と妹だけがいて、向かう先もよく分からない、昼間だったのにとても幻想的な世界だったと感じていた。何もない世界に放り出されたような怖さもあったかもしれないが、そこには確かに家族がいた。生い茂ったよく分からない草の花粉でみんなくしゃみが止まらなくなった。ちょうど疲れてきた頃に、いきなり誰もいない舗装路と避難所が出てきて、目の前のバス停で家族4人、バスが来るのを待っていた。

 

避難所の前に停めたスクーターのフックから寿司のレジ袋を拾い上げて、この山道を進んでいくことにした。

 

 

車の轍が目立つ。

ここは、舗装された道ではないが、車で走っても良いことになっているらしい。4WDの車やオフロードバイクで遊びに来る人も多いようだ。

しばらく歩いたところで、後ろからジムニーが走ってきた。車の走ってくる音が遠くからずっとしているような、いや耳に当たる海風の音でよく分からない。車がまた来たかなと思って振り返っても、何も来ていない。今度は、向かいから大型バイクが来た。島のレンタカー店の規約では、借りた車でここを走ってはいけないというらしいから、みな下田からの船に自家用車を載せてくるのだろう。

青空と対照的に、山道は真っ黒だ。溶岩が細かくなった砂利が敷き詰められていて、山を登っているというよりは浜辺を歩いているような歩きづらさがある。だが、昨日の雨はなんのそのという感じで、その分だけ水はけがいいのだろう。たまに枯れた川のように凹んだ跡がある。そこにモグラが通れるくらいの穴が空いている。何か、生き物が棲んでいるのだろうか。でも周りから生気を感じない。後ろを振り向くと、遠くに海面が見える。海岸線は見えなかった。

10分、15分くらい歩いたところで、だんだんと周囲の草木も少なくなってきて、目の前にロープの張られた場所に着いた。

 

 

看板に、これ以上は車で乗り入れていはいけないと書いてあった。

いやありのまま正直に話せば、この先にも轍は続いていた。人間なんてそんなものだ。どうせ見られていないのだからとなって、注意書きなんて意味をなさない。レンタカーの規約は守るのに、と思うと不思議なものだが、考えてみればこの先に車で行ってしまう少ない人達と、レンタカーを借りる大多数の人達は別の層の人なんだろう。

この辺りで、買ってきた寿司を食べることにした。腰を下ろす、といっても分かりやすい岩などはない。本当に全ての地面が黒い砂利で成っている。仕方がないので、少し高いところにしようと移動すると、そこは海風が強かったりして居づらいので、その高くもない低くもない中途半端なところに胡座をかいた。

 

 

島寿司は、少し変わった醤油に白身の刺身をうんたらかんたら、、というのは調べていただければいいと思う。とにかく漬けの寿司に、わさびの代わりにカラシが入っている。私に複雑な味のコメントはできない。誤解を恐れずいうなら、馬鹿みたいな味だ。甘くてしょっぱくて、生魚と米だ。美味くないわけがない。屋外で食事をするっていうのも久しぶりだからか、幸福が溢れて仕方がなかった。

寿司を食べている間に、また車が通った。今度は、ロープの向こう側から下山してくる車だった。こんなに堂々と、島の決まりを無視していける人もいるもんだなぁと、でも睨まれても嫌なので運転席とは目を合わせないように俯いて、中途半端な正義感だけが心に残った。

ここから山頂まで見通せるというのに、視界のどこにも人の姿は見えない。やっぱり、今も昔も裏のルートを歩く人などほとんどいないのだ。

寿司を食べ終わって、一服をして、あたりを見回した。いろんな感傷的なことを逡巡していたけど、この旅行記にふさわしいか分からないから、心のどこかに置いていく。

 

まぁ別にここでやりたいこともないのだから、心が満たされればそれで終わりだ。景色をもう一望だけして、停めたバイクのところまで戻った。

 

 

大島旅行記-6

レンタル

 

宿から30分弱歩いて、バス停へと到着した。バスの出発は7:40ごろ、港から出る朝一番のバスの、次の便になる。もう1人、バス停で待っていたご婦人と一緒に乗り込んだバスは、高速バスの車両ではなく、一般的な都市バスの車両だった。

 

 

元町港に戻ってきた。海の向こうに、利島が見える。

昨日火山博物館で学んだところ、火山は長い歴史の中で噴火が何度も起こるが、その間溶岩による陸地の形成と波の侵食が繰り返すらしい。つまり、新しく噴火で陸地ができるまで、元の陸地はどんどんと侵食されて断崖となる。利島の周囲は、遠目からでも侵食された断崖になっている様子がわかる。次は、あの島へも行ってみたいなとぼんやり考えていた。

レンタサイクルのお店に行き、原付二種のスクーターを借りた。実は、スクーターに乗るのは初めてだ。免許の番号を書類に書いて、paypayで支払いをして、お店のお爺さんが軍手まで貸してくれた。都心で車を借りたりすると、車両の確認をしてくださいとか言われるのに、随分とあっさりとしたものだった。

 

 

オドメーターは23000km、うちのMT125ccよりも走ってないだろうか。ホンダ車じゃないので、ウインカーとホーンの位置も混乱しない。しかし、スクーターのレバーはどっちがどっちのブレーキなのだろうか。よく分からないまま発車した。

 

大島温泉ホテル

今日絶対に行きたい場所は、決まっている。大島の裏砂漠である。

だが、この朝早くにいきなり行くよりは、道中色々見ていきたい。

まず、三原山の登山ルートを今回の旅の中でこれから歩くという気はさらさらならないので、ひとまずバイクで行けるところまで行ってみたい。裏砂漠ではなく、表のルートということになる。三原山の表の登山口には、大島温泉ホテルがあるそうだ。昔の旅行でそこに行った記憶はない。昨日の昼に御神火温泉でふやけるまで湯に浸かったけれども、朝から入れる温泉があるなら今日も行っておきたい、バイクに乗ると体も冷えるので先に行っておこうということになった。

調べてみると、日帰り温泉は8時半か9時に閉まってしまう。現在元町で8時であるので、急いで向かうことにした。

 

 

着いてみると、やはりここに来た記憶がない。しかし、小学生の時の家族旅行では三原山に登ったはずなのだ。ここに一泊したのかもしれない。建物の外観も内装も、どこか古びた感じであったが、綺麗に清掃されているのが分かる。上品なというか、小綺麗な感じだ。

風呂に入ってみると、昨日の温泉とは違ってあまり塩素の匂いがしない。お湯もじんじんと熱い。これだけでも十分な気がするのだが、一番は露天風呂だった。扉を開けて外に出てみると、目の前に三原山が見える。この温泉はどうも少し高いところにあるようで、建物の真下には、それほど高くない樹木の海が広がっている。樹海はあるところまでで終わっていて、そこから先は、草木がほとんど生えていない黒と赤茶色の混ざった色の地面が広がっている。おそらく山肌は岩ではなくて、溶岩が砕けて砂と石の間くらいのものが地表をなしているのだろう。露天風呂に浸かって数分で、風呂場から人がいなくなった。ものすごい開放感で、登山道からも多分こちらが見えるだろうというくらい、視界に何も邪魔するものがない。当然、写真は撮れなかったので、景色が気になるならご自身で行ってみると良い。

一人旅をするのは久々で、一人でいる時には自分のご機嫌をとることが非常に大事だなと、もうあと6時間ほどでこの旅も終わりだというのに、ようやくそんなことを実感した。昨夜の強い風雨から、最高の風呂と眺望、そしてバイクの爽快感。昨日までに比べるとかなり上々な気分で、これからの予定を考えていた。

 

時間つぶし

温泉ホテルを出て、そういえばと思い出した。やはり伊豆諸島に来たのだから、島寿司は食べたい。本当なら、夕食として食べるべきだったのかもしれない。昨日波浮港に行った時、寿司の名店があるということも情報としては仕入れていたが、Googleマップを見てげんなりした。口コミ評価が、異常に高い。いやそれは、名店であることを疑わせない、素晴らしいことには間違いがないのだが、そんな人気店に一人で行く気概はない。今日の昼に行くとしても、日曜日だから、予約をせねば入れないだろうということも書いてあった。もう面倒で仕方がない。というわけで、他に島寿司を食べられるところはないのかと調べていると、大島ストアの近くに「いざなみ」というお店があり、そこではテイクアウトで島寿司が買えるらしい。昨夜Googleマップで目星をつけ、開店時間が10時半ということまで調べておいた。とりあえず、いざなみの開店まで時間を潰さなければいけない。

 


バイクで先ほど来た道とは別の道で元町まで下る。

 

 

 

牧場を過ぎ、展望台を過ぎた。御神火スカイラインというらしい。

ひとまず時間つぶしとして、家族旅行で寄った場所のうちの一つ、善菓子屋に行くことにした。ここは、いわゆる島の有名な土産物の、牛乳煎餅の工場である。牛乳煎餅は何種類もあって島ごとに作っている会社は異なっているが、さらに大島の中だけでも数種類あるらしい。善菓子屋の牛乳煎餅は白い缶に入っているもので、おそらく一番よく見かける種類のものだ。昔この工場に直接行って、売り物にならない割れた煎餅を袋いっぱいにもらった記憶がある。あの時は子供が可愛くてくれたのだろう、成人男性1人で行って、また同じようにもらえるとは思わないが、どんなところだったか見ておきたくなった。

 

 

工場は意外と住宅街の中にあって、周囲からすでに甘い匂いが漂っていた。扉を開けると、すぐに工場のフロアになっている。そこで働いているご婦人に話を聞いてみると、ここでは売っていないので、取り扱っている港のお土産屋さんを教えてくれた。とりあえずと思って行ってはみたが、結局以前来た時の情景は何も思い出せずじまいだった。

煎餅を買うのは出港の直前で良いかと思い、他に寄る場所を探した。おそらくこの近郊で行っていない、なかなか行きそうもないスポットとして、野田浜へと向かうことにした。

 

 

野田浜は良い景観だった。浜辺にでっかい犬を連れて散歩している人がいる。

 

 

対岸に、伊東の大室山が見える。

 

 

大きな船が、ゆっくりと目の前を通る。私と船との距離が少しずつ近づいて、画角の中の船が次第に大きくなる。最短距離からまた段々と離れていって、遠くなっていく。トイレに行って、人のいないところで一服して、さっき二度目の大島ストアで調達した菓子パンを食べた。海水浴をする時期でもないし、駐車場には車が数台停まっているだけだった。老夫婦が軽トラックを、私のバイクの近くに停めて、降りてどこかへ行ってしまった。

そろそろいざなみの開店時刻になる、空港の下を通るトンネルを抜けてお店へと向かった。

 

 

 

 

大島旅行記-5

元町港ターミナル

そういえば、まだ昼食をとっていない。温泉を出てあらためて食事処に腰を落ち着ける、というのもなんだか気が引けたので、元町港のターミナルの中へ、売店を求めて入っていった。

ターミナルの中からパンの匂いがする。見たところ、1階に店は見当たらないが、階段を上がっていくとフロアの角にイートインが可能なパン屋があった。普段はほとんどこう言ったところに入らない。パンは好きだし無性に食べたくなる時もあるが、街中のパン屋に入るのはなんだか避けてしまう。こういったところでしか入れないのだから、入る。

枝豆の入ったパンと、メロンパンと、あとなんだったかもう一種類のパンとコーヒーを買って、椅子に腰掛けた。意外と空腹だったのか、パンはあっという間になくなってしまった。そういえば、世間では塩パンが流行っているらしい。この店にも並んでいる。シンプルイズベストと言えば聞こえはいいが、小麦粉とバターといういかにも太りそうな顔をしているものを、塩味であっさりと食べたいなどというのはチグハグに感じる。どんなにお高くとまっていようと、枝豆のパンに勝てるわけがない、残念だが。

 

 

外に出てすぐの喫煙所で一服をして、海を眺める。時刻は16時前、もう今日やれることはないだろう。次の岡田行きのバスを待って、途中で下車して宿へ向かおう。バスの時間も限られている。なんだかんだ言いながらも、1時間以上元町港で過ごしてしまった私は、明日の予定を頭で組み立てながらバス停へ向かった。

 

食料の調達

バスは、今朝私が歩いてきた道を逆方向に進んでいく。あっという間に宿の最寄りのバス停まで到着した。最寄りとはいえ、このバス停から宿まではさらに20分近く歩かねばならない。さらに、宿は素泊まりでとってあるから、ひとまず明日の朝食を調達する必要があると。ちょうどよくバス停のそばに、大島ストアというスーパーがある。

私の父は、少し遠出すると、その地元のスーパーに行くのが好きらしい。地のものがあればおおと思い、全然関係のないものがあっても面白いんだそうだ。

朝通りかかった時はまだ開店していなかった大島ストアに入る。中に入ると、それはもうどこにでもある少し小さなスーパーだった。売っているものも、なんの変哲もない。というか来店しているお客さんを見ると、みんなスウェットにサンダルみたいな風で、地元の人のための場所なのだろう。菓子パン数個と塩キャラメルを買って出た。決して、塩パンのサブリミナルではない。

 

宿泊と起床

そして、気づくと朝だった。

 

 

いや、別に行き倒れたわけではない。

しかし昨夜のことについては、あまり特筆することはなかったのだ。

バス停から宿まで歩いていく道中は、ほとんど人家がなくて、舗装はされているがそれ以外の景色はほとんど獣道だった。たまに、誰かしらの別荘地のようなものを見かけた。

素泊まりでとった宿は、ちゃんと本音を言うならば、お金を払うのが惜しくなるほどのボロ宿であった。まだ日の暮れないうちに入ったところ、誰も先客がいなく、ご主人が部屋へ通してくれた。その時の部屋の感想について、友人に送った文章が残っていたのでそれをそのまま書く。

 

まず、部屋にハエ叩きがある。虫が出るんだろうということはもちろん予想できるが、床を見ると黒いシミが大量にある。タバコの不始末なのか、いやたぶん虫を潰した後な気がする。ふとちゃんと床を見ようと座布団をひっくり返したら、座布団が置いてある場所は、畳がテープで補修されている。いや、補修できてない。今度は隅にある座布団が怪しいのでめくってみると、やはりそこだけえらく汚い。全体的に部屋のものに埃が浮いているので怪しいと思ったら、枕もやはり埃が浮いている。エアコンは使い放題ではなくて2時間100円というシステム。テレビはブラウン管、デジタル放送が映らないのでチューナーが別にある。
極め付けは玄関に帯付きの万札が放置されていた。どないやねん。

 

まぁこれだけで十分だろう。私は早々に布団を敷いて、枕に顔をつけられるか悩んだ末にやめて、ここから脱出して今日泊まれる宿は他にないか真剣に調べ続けていた。ずっと風が強く、本当は夕飯を食べに出て行こうかと思っていたが、結局朝まで部屋から出なかった。

 

チェックアウトは好きに出て行っていいと言われていたので、他の部屋の人に足音が聞こえないように出発した。

 

 

昨晩も通った道。

まだ好天というほどではないが、早い雲が流れていて、その隙間から朝焼けの終わり頃の空の色がのぞく。樹木が風に流される音、そして何匹も鳥の囀りが、四方から聞こえてくる。

 

 

 

 

昨夜よりも少しだけ時間をかけて、スーパー近くのバス停へと向かった。