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おうちがいちばん

大島旅行記-4

たとえ2泊3日の旅といえども、こんなスローペースで綴っていたら、いつまで経っても完結しないような気がしてきた。しかも気の赴くままに、思い出したように書いては投稿しているので、そもそも完結させられるのかどうかも怪しい。だからと言って、急かされて書く気にもならない。とりあえずは、やれるペースでやることにする。

 

雨の波浮港

地層断面の前で予定通りバスに乗り込み、波浮港へと向かった。そのまま歩いては、きっとお昼ぐらいに到着するであろう目的地へ、バスでは一瞬で到着してしまった。途中、バス停になっているいくつかの地名を聞いた。漢字を一目見ても、ぱっと思いつく読み方ではないような、島独特の地名だったと思う。バスに同乗していたのは、私の他に2人か3人ほどで、やっぱり今日島に降りた300人はどこへ隠れているのか不思議だった。

 

 

バスが波浮港に入っていく。空は曇り、波は少し荒れ、やはりまだ雨は降っていた。バスから眺めるこの港の景色は確かに、思い出の場所である。小高い丘に囲まれた、小さな港町。道路と住宅地と堤防の境目がすごく曖昧な、こじんまりとした場所である。

以前この港町に住んでいたという知り合いから、おすすめされた場所があった。それは港の端にある商店、そこで売っているコロッケがいいというので、そこを目指して歩いて行った。

 

 

振り返ると、小さな停車場で何度か切り返していた大きなバスが行ってしまった。次のバスまでは何時間何分だったか、とにかく時間を潰さなければいけない。

商店は本当になんのことはない、棚に洗剤とお菓子と雑誌が一緒になって並んでいるような、よくある田舎の商店だった。男1人、真っ黒のマウンテンパーカを怪しんでいるのだろうか、おばちゃんは気さくという感じではなかったが、嫌な感じもなく、コロッケを買うことができた。受け取って店を出て、片手で傘を差しながらもう片手にコロッケ。海辺に吹く強風と格闘しながら、食べ進めていく。

 

 

お店を出たすぐのところから、少し坂道を登っていく。別に、行けと言われているわけでもないのに、港の端へと自然に足が向かう。此方からは、港の彼方側がよく見える。

 

 

彼方側の港の端には、何か大きな建物を建てているようだった。新しい漁協の施設なのか、リゾートなのか、さっぱり分からないが一体どこからお金が出ているのだろう。建設会社の名前も見えない。

 

 

端まで歩くと、大きな石の地図が置かれている。ここまでの道のり、と言ってもまだ昼前だけれど、岡田から波浮までの道のりを、小さな大島の上でまた歩いてみた。

 


 

島の建物というのは、とてもわかりやすい。今でこそコンクリートを使うのだろうが、やはり離島の気象条件と、特産品だからだろうか、古くからの石造りの建物をいろんな場所で目にする。家そのものというより、倉庫に使う離れが石造りというのが多い。

 

 

先ほども見かけたウミネコが2羽、まだ同じところにいた。彼らも漁をするのだろうか。

 

 

伊豆の踊り子がどうたら、という石碑があった。私は読んだことがないので分からない。いや、これは『波浮の港』の歌碑だったかもしれない。目を引くのは何羽もの鵜の像だった。ウミウ、というものだろうか。鵜と聞いても、海というより川で飲んだ魚を吐かされるかなり残酷な漁の姿しか思いあたらない。そういえば、先ほどコロッケを買ったお店も鵜飼(うがい)さんという名前だった。なんだか出来過ぎじゃあなかろうか。鵜の像にあたった雨粒が、嘴を伝って滴り落ちている。

 

 

ウミネコは1羽だけになっていた。後ろ姿は寂しそうだが、眼は鋭い。雨でより一層静かな港町にいてさえ、寂しくないんだろう。なんだかんだと言いながら、波浮の散策を楽しんでしまい、元町行きのバスの時間となった。

 

大島火山博物館の中

バスで元町までは行かずに、朝方はまだ開館していなかった火山博物館の前で降りた。昔来た時の博物館の展示内容については、あまり記憶にない。印象的な出来事ではなかったのだろうと思う。

 


中にはちらほらと人がいた。入館料を払ったら、無料のロッカーの案内までしてくれた。カメラだけを持って回ろうとしたが、中は撮影禁止だった。

1Fの展示では、三原山の噴火に関する資料がまとめられていた。ただ、違う人が作ったものをいくつか並べてしまっているので、なんというか統一感がなくて頭に入ってこない。いかにお金をかけた博物館が優秀なのかということがよく分かる。なんて言っている割に、鉱物が置かれた顕微鏡の前で随分長居してしまった。顕微鏡があると隅々まで観察しなければいけない研究者の性根が抜けなくて悲しい。

2Fに上がると、今度は大島に限らない、世界中の火山活動に関する資料が並んでいた。特に伊豆諸島に関することはかなり触れられているので、今後の島旅にも活かせそうな、いや一体どう活かせばいいのかは分からないが。

1時間近くは滞在しただろうか、もうお腹いっぱいというところまで見尽くして、とりあえず元町の方へ歩いて戻ることにした。

もうお昼を回っているのだが、朝の牛丼がやはり多かったのだろう、あまり空腹を感じない。それよりも大事なことは明日の行程だ。明日は天気が回復するという予報なので、それならば何か移動手段をレンタルしたい、できるならバイクを借りようと考えていた。

歩きながら、島の中のレンタルバイクショップに電話をかけた。2軒目で、原付はないが原付二種ならあると言われ、一も二もなく飛びついた。

 

御神火温泉

朝から歩き通しで靴も脱ぎたいし、だんだんとまた冷えてきたので、温泉に入ることにした。博物館から20分ほど歩いて、御神火温泉へと向かった。ここも、以前来た記憶がある、というか名前だけは覚えていた。

中に入ると、それはもう、東京ならどこにでもあるような普通のスーパー銭湯の雰囲気だった。

とにかくここに関しては、疲れ切っていたのかほとんど何も覚えていない。どんな風呂だったか、どんな景色だったか、サウナに入ったのか入っていないのか、記憶にない。覚えていることといえば、とにかくプールと同じ塩素のきつい匂いと、風呂から上がったあと休憩室でどれだけ長居できるかを気にしていた、ということぐらいである。

風呂から上がって畳の上に寝転がって、とにかくやることがなかった。これからの行動を決めたいが、この雨の中ではそうそう遠くへも行けないし、バスは時間を読まないと宿に着けないかもしれない。と色々と考えたり、先延ばしにしたりを繰り返していた。ただ、そのうちそうやって考えて続けていることにも飽きてきて、さっさと支度をして出ることにした。

 

 

大島旅行記-3

1日目の朝食

大島に上陸して、延々と雨風に打たれながら歩くこと2時間。ようやく元町港へと到着した。

 

 

結局岡田港では朝食にありつけなかった私は、元町で定食屋を見つけた。この店を、以前私は見たことがある。思わず消してしまったロケ番組の、冒頭の方で紹介されていたのだ。

中に入ると、テーブルに大量のおにぎりやパン、惣菜類が並んでいた。奥にご主人がいて、ここで食べて行ってもいいですかと聞くと、快諾してくれた。

朝の岡田港からのバスで来た人たちはもうあらかた出発してしまったようで、お店には誰一人としておらず、テレビから朝ドラが流れていた。そこでやっと、あぁ本当に2時間も歩いてしまったんだな、と理解した。店の内装も、番組で見たままであったし、ご丁寧に、壁にはその時のロケのサインが置かれていた。店主の方と少し話して、壁に貼られたいくつかのメニューの中から牛丼を注文した。

 

 

牛丼、やたらと米が多い。玉ねぎの味噌汁を飲むのは本当に久しぶりな気がする。

体の芯から冷え切って、何か口にして体を温めないと、という動機で食事をするのも久しぶりだった。牛丼は本当に大盛りだったけど、少しでも自分のカロリーにしなければと思って口に運ぶのはちっとも辛くなかった。

 

支払いをするときに、ご主人と少し話した。この店の成り立ちや、ご主人の半生について、それはそれはもう壮絶なものであったので(本当かどうかは分からないが)、興味のある方は話しかけてみると良いと思う。今日の予定を聞かれたが、何も決まっていません、と苦笑いしながら応えて店を出た。

 

予定はないが写真が撮れればいい、と思いつつも、この旅の動機を思い返せば昔の旅の振り返りだったことを思い出す。だから、ここに来る前から行きたい場所はいくつか挙げておいた。

 

火山博物館と地層断面

手元の携帯で、バスの時刻表はあらかじめ調べておいた。元町から波浮港へのバスがあるので、それに間に合うように店を出た。以前来た時は、波浮港で父がくさやを買っていた。本当に小さな港町だったと記憶している。

元町のバス停まで行くと、バスが止まっていたがどうも行き先が違う。運転手に聞いてみると、波浮行きはさっき出ましたよ、と言われた。そんなわけはない、バス停の時刻表を見てみると、確かにさっきまで携帯で見ていたものと同じものであった。しかしよく読んでみると、それは夜行船の到着港によって場合分けされていて、私が見ていたのは元町港到着日の時刻だった。そして確かに、今日のバスは先ほど行ってしまったばかりであった。

これではもうどうしようもない、が波浮港まで歩くとなると、今日だけで朝から大島半周分を徒歩移動してしまうことになり、何時に着くか分ったものではない。ひとまず波浮までちょうど中間くらいにある地層切断面まで歩いて、後から来るバスにそこから乗り込めば時間も疲労もちょうど良いかなと考えた。

島の南端に向けて西岸を歩く。当然、海のすぐそばの道であるから風が強い。折り畳み傘では限界があるだろうが、これより他に仕方がない。

30, 40分ほど歩いたところで、伊豆大島火山博物館の前まで来た。

 

 

開館は9時ということであと20分ほど待たなければ中には入れない。こんな雨風の中でそんな時間を潰すのもうら寂しい。というか、私がここに来たかったのは、中の展示を見る事よりも重要なことのためであった。

 

 

博物館の前のこの広場。何のためにあるのかはよく分からないが、私は小学生の時に見たこの景色を、断片的にではあるが鮮明に覚えている。数年前にミュージカル映画のララランドを観たときに、天文台の辺りで似たような景色が出てきた。その時にも、この大島博物館のことを思い出していた。

やはり、記憶の中の広場よりも幾分小さい。視点の高さがきっと違うのだろう。記憶の中のあの景色が、今ここで見た景色へと、隅々までゆっくりとリロードされていって、確かに明瞭になったのだけれど、昔感じた印象深さまでなくなってしまいそうで少し寂しい。

開館を待つことなく、再び地層断面まで歩くことにした。

 

 

いくつもの景色を通り過ぎた。

途中、携帯の地図ではわからないような歩道もない勾配があって、それはもう数時間は坂を登り続けたんじゃないかと思えるようだった。腕時計で時間を確認して、バスに追い越されてしまわないように少しペースを調整しながら、進んでいった。

 

 

ふと道の壁面に、地層が少し浮き上がっている。あの壮大な景色は、いきなり始まるのではないんだなと思った。それもこれも、徒歩でなければおそらく気付かないであろうことだ。

 

 

急に道が開けて、ガイドブックでよく見かけるあの景色が目の前に広がった。ここは、昔の記憶がない、きっと訪れたに違いないんだけれど、私はここであの時どうやって時間を過ごしたのだろうか。

ところで。動かない被写体というのはとても楽だ。呑気にシャッターを切っていても、逃げられやしない。しかしこれだけ大きいと、どの画角から撮っても同じような写真になってしまうので、大量に撮った似通った写真を結局家に帰って消す羽目になる。バスが来る時間まで地層を見たり、海を見たり、通る車を遠巻きに撮ったりしながら過ごした。15分ほどして、乗り合いのはずなのに高速バスと同じサイズの黄色いバスが、バス停へ止まった。

 

大島旅行記-2

元町港まで

岡田港から出発するバスを眺めている。バスはいきなり急坂に入っていって、木の影に隠れて見えなくなった。陸の方はすぐに小高い丘への登り坂になっているので、歩いて行くのは随分とくたびれそうだ。携帯で調べると、元町までは6.5km、1時間半と出てきた。雨風がこれだけ強くて、上り坂も多くて本当に1時間半で着くとは思えない。しかし、島中を歩くことは最初から分かりきっていた。そのためにトレッキングシューズも履いてきた。だからぐだぐだ言わずに歩けばいいのだ。

 

 

歩き始めてすぐ、港を振り返るとまださるびあ丸はそこにいた。

 

 

朝食をとりたいな、と思った。夜行船は何十年もあるのだから、朝からやってる食事処だっていくつかあるはずだ。観光協会のHPから、入れそうなお店を探したが、ルート上のお店はあらかた閉まっている。もちろん、ここを歩いている人など誰もいない。結局、岡田に着く日は、みんなバスに乗るか港の近くで時間を潰すのだろう。

飲み会の翌日というのはお腹が減って仕方がない。お酒が入ると満腹中枢が壊れて爆食いするというのが世の定説らしいが、私は全く逆で、食欲が失せてしまう。本当は酒にとても弱いのに飲みすぎてしまうので、お腹に何も入れないことで嘔吐を無意識のうちに防いでいるのかもしれない。いやいや、自分の体の無意識がそんなに優秀なわけがない。

元町へ向かう道は、バスのルートと全く一緒だ。港から坂を登りきる手前くらいに、小学生の時に泊まった民宿を見つけた。一人二人が出てきて、作業をしている。

 

 

本当に、誰も歩いていない。バスを待つ人もいない。

 

 

ただ雨の音だけがする。たまに、道を車が数台通るくらい。こんなところで死んでも、しばらく誰も気づかなさそうだなと思う。私はなんとなく道路とその周りの景観を眺めてしまう。大島はやはり東京都なんだなと思わされるほどに、道はしっかりと舗装されている。だからここで倒れても誰か見つけてくれそうな気もする一方で、しばらく歩いても店ひとつないからやっぱりダメな気もする。

しばらくして、レンタカー屋の前を通りがかった。やっぱり車を予約するべきだったかなと思った。バイクにしろ車にしろ、借りる値段はそれほど大きくは変わらないようだった。ただ、車を運転しながら、道の脇に路上駐車をして、カメラを出して、、、というそのまどろっこしさを思うと、やっぱり面倒で仕方ない。カメラを使いたければ、バイクがいいんじゃないかと思う。

スーパーを通り過ぎて、潰れたパチンコ屋を通り過ぎて、ゲートボール場?を過ぎて、ようやく元町地区に入った。

 

 

途中に大島高校があって、学生が手入れしているのであろう椿園が、校外の人に解放されていた。でもこんな早朝から、黒いマウンテンパーカの男が、高校に侵入してもいいものだろうか。他に人影はない。目的地に着く前に寄り道をするそんな気力もなく、高校の前のバス停の屋根の下で、買っておいたカロリーメイトを食べた。出港前の時間にコンビニに寄って、もし何かあった時に食事もできなくては困るなと思って買っておいた。それがまさか、1日目の朝から使ってしまうことになるとは。

それからしばらくまた歩いて、ようやく元町港へ着いた。どこか見たことのある食堂で、朝食にありつけることになった。

 

 

大島旅行記-1

出発

3月のある金曜日の夜、私は竹芝にいた。

新橋なのか、有楽町なのか、銀座なのか、その境目のあたりの居酒屋で会社の飲み会があった。その中では私が一番の新入りだったが、流行病の頃から飲み会は開かれていなかったため、1つ2つ上の先輩たちも含めて、なんだかみんなよそよそしかった。飲み放題の時間が終わる頃に、みんなそこそこに饒舌になっていった。そこはやはり現代の飲み会というか、任意参加の二次会は半分くらいの人数で開かれたらしい。

私は予定があるので、と断りを入れ、仕切りに腕時計を見ながら駅へと急ぐ。2週間ほど前に予約した船の出航時刻を気にしながら、小走りで新橋駅ゆりかもめのホームへ移動した。ゆりかもめの新橋駅と、隣の汐留駅は1kmも離れていないそうだ、とネットで調べていたらあっという間に竹芝駅に着いた。

 

 

まだ夜は少し寒いので、ターミナルの外で出航時刻を待つ人はほとんど見当たらなかった。前回ここに来た時も酒が入っていた気がする。これくらいでふらつきはしないが、ふらついた姿を見られるのが恥ずかしいなと思うから、いつもより余計にしゃっきりと歩いて、ターミナルの入り口へ向かった。出航は22時、あと1時間ほどの余裕があった。

 

 

受付で予約番号を伝えて、発券してもらう。受け取った券の乗船票に住所と名前、電話番号を記入する。これであとは船に乗り込むだけだ。屋内のベンチはほとんど埋まっていて、そこからあぶれて立って時間をつぶす人もそこそこにいる。やはり週末となるとこれだけの人数になるのか、それにしたってまだ海水浴ができる季節でもないというのに。ここにきて去年一昨年までの外出自粛のリバウンドが来ているのだろう。今までも、感染者が減れば急激に外に出る人が増えていたが、今回のはなんというかボリュームが違う。都内のビジネスホテルは以前に比べて値上がりしているのに、どこも満室らしい。私が島中の宿を探した時も、べらぼうに高いところとべらぼうに安いところしか残っていなかった。

 

前回、ここに来たのは2018年末だった。あの時は同じように夜行船に乗って新島へと向かった。

2020年から、私はある程度生活にも時間にも余裕ができる予定だった。わりかし好きなところへ旅行へしたりして、一人の時間を楽しめるはずだった。流行病は私の暇な時間を増やしてはくれたのだが、やっぱり思うように外出はできなくなった。これが少しでも収まったら、島に行きたいとずっと心に決めていた。新しく就航したさるびあ丸に乗りたいと心待ちにしていた。しかし新島で泊まった宿のHPを何度更新しても、島に医療資源は限られている、今は泊められない、という趣旨の文言がいつまでも載っていた。

2023年、さらに生活が変わって、今度は比にならないくらい忙しくなった。というよりも、都会で、あくまで一般的な社会人としての生活が始まっただけだった。平日ヘロヘロになって、土日に出かける気力すらなく、家でテレビ番組の配信を見ていた。その旅番組では、伊豆大島へとロケに行っていた。私は20年くらい前だろうか、家族旅行で大島へ行ったことがある。放送は、ごく最近の伊豆大島を回って名所を紹介していた。

その番組を観ていても、途中から内容が頭に入ってこなくなった。そしてそのうち、観るのをやめてしまった。これは言葉には言い表しづらい感情だった。子供の頃の思い出の中にある懐かしい景色を、こんな小さな画面の中で、人に見せられるかのように見たくはなかったのだろう。昔好きだった人を、久しぶりにSNSで見かけても直視できないような、、、それは少し違うかもしれない、いや明らかに違う。ともかく、その時に直感で、それならば自分の目で見に行こうと、そう決めた。旅の主たる目的は、島の風景の変化を、自分の目で確認するということだ。

 

乗船ターミナルで、旅の決心のことを回想していた。外の喫煙所で一服して、等級順に乗船の案内がされるのを外で待つ。しばらくして、特二等の案内がなされて私は乗船口へと向かった。

 

乗船

 

 

ターミナルの外で待っているうちに、船に乗り込む人の数はとんでもないことになっていた。これだけの人が乗ったら天下の三菱重工と言えども流石に沈むんじゃなかろうか。乗る人たちはどの島で降りるんだろう、私は一番初めに到着する大島で下りてしまうので、他の島に行く人が降りるのを確認することはできない。4年前に新島へ行った時とは違う、新しくなったさるびあ丸へと乗り込んだ。

就航から3年は経過しているが、まだまだ綺麗な内装であった。最後に乗ったのは4年前とはいえ船内の間取りや大まかな構造は、先代を踏襲したものだとわかる。入り口すぐのところにある、両側からクロスした急な傾斜の階段や、奥まったところにある特等室や特一等室の配置、自販機のカップラーメン、ドアがなく暖簾がかかったトイレ。ほとんどは、私の4年前の記憶のさるびあ丸と比べると、見た目が綺麗になっただけであった。ただ一つ、甲板で喫煙はできなくなっていた。船内の最上階にある食堂のすぐ脇に、小さな喫煙ルームがあって、みなそこに押し込められている。この世の中で喫煙所があるだけでありがたいとは思う。ただ、トイレと同様に喫煙ルームには扉がなく、煙が思いっきり廊下に出てしまっている、流石にこれは設計ミスに思える。これだったら喫煙者など外に出して仕舞えば良いのに。他の人は知らないが、私にとって気を遣って吸う煙草が美味いわけがない。

甲板に出て、出港を待つ。暗い空から少し雨が降り出していた。金曜日の夜から土曜日にかけて雨が降るらしい、と何日も前から分かってはいたが、船も宿も取ってしまっては引くに引けなかった。なんとか雨が止んでくれたらいいのに、と思っていると、そのうち同じように出港を待つ人たちが甲板に出てきて、海を眺めている。とにかく大勢の人がいてどんどんと騒がしくなり、屋根のある甲板の中央では座り込んで酒盛りも始まっている。それはそれで、微笑ましくも見えた。しかし男1人がカメラを持って佇む場所ではないなと思い、船がレインボーブリッジを通り過ぎるくらいまで居たところで、早々に寝室へと引き上げた。

 

 

トイレで歯を磨き、コンタクトを外してベッドに入った。特二等室は二段ベッドが左右に並んだ、昔の寝台列車でよく見るような構造である。しかし、寝台列車に比べると天井はかなり低い。船に乗り込んで荷物を置きにきた時には、同じスペースの他の3つのベッドは誰も来ていなかったのに、甲板から帰ってくるとすでにみなカーテンを閉めていた。私も同じようにカーテンを閉めて横になった。しばらくすると携帯の電波も届かなくなった。そういえば船内のどこかに掲出されているだろうWi-Fiのパスワードを確認するのを忘れていた。どちらにしろ基地局から離れすぎて、もう回線は届かないだろうか。画面をずっと見ていると、残ったアルコールが船酔いを加速させて良くない。目を閉じて船の動きを感じることにした。船の中にアリの巣のように張り巡らされた特二等のベッドでは、窓もないし船が一体どちらに向かって進んでいるのか分からない。甲板から歩いてきた経路と位置関係を、頭の中で整理し直して、そうか進行方向に並行に寝ているんだなぁと結論づけて、少し経ってそのまま眠ってしまった。

 

上陸

朝5時ごろ、いつもの仕事の起床時間と同じように目が覚めてしまった。朝日が見えるかと思って甲板に出ると、洋上は真っ暗で、遠くの方に島の港の灯りだけが見える。屋外の通路は濡れていた。海水ではなく、おそらく雨水だろう。起きている人はたくさんいるのかもしれないが、朝焼けも見えないので誰も出ていない。

 

 

まだアルコールが抜け切っておらず、また気持ち悪くなりそうだった。甲板に出ると朝日も見えないし何より海風が寒すぎる、しかしベッドで起きていると外の景色が見えず酔ってしまう。この朝の時間というのは、なんとも難儀だ。せめてもの、ということでベッドで横になり目を瞑って、着岸のアナウンスが流れるまで待った。このあと一悶着あったのだが、ここに書くのも恥ずかしいくらいのことであるので割愛する。私が何年後かにこの文章を読み直したとしても絶対に思い出せるのだから、残しておく必要もない。

 

 

船は6時に岡田港に着岸した。天気は相変わらず強い風と小雨で、下船する頃には少しだけ明るくなっていた。大島で下船する人はなんと300人もいたらしい。この人数がこれから島で方々に散らばっていくとは言え、あまりにも島の人口密度を増やしすぎはしないだろうかと意味なく懸念した。港には強い海風が吹き荒れて、頼りない折り畳み傘にじわじわとダメージを与えている。船から降りるまでゆとりを持って行動してしまったため、岡田港発のバスへはもうあらかた人が乗り込んでいた。目の前のバスの前で、乗務員が間も無く発車しますと叫んでいる。

寝起きの低血圧の頭で少し考えた。バスはフリーパスか現金払いしかできない、フリーパスなんぞ当然買っていない。満載のバスに乗って向かうのは、みんな大島温泉ホテルか元町港だ。人の多い都会で疲れているっていうのに、なんでこんな離島まで来て人と一緒に行動せねばいけないのか。元来低血圧なだけでなく、天気が悪く気圧も低いし、何より先ほどの一悶着ですこぶる機嫌が悪かった私は、意地を張って元町まで歩いてやろうかと考えた。大島は一周約40kmらしいから、岡田と元町の位置関係からして10kmもないだろう。とりあえず、現実的に歩ける距離なのかを調べよう、と考えたところでバスが2台とも発車した。もう選択肢は無くなってしまった。