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おうちがいちばん

行きにくいからこそ価値がある - 尾瀬・燧ヶ岳(2)

帰ってから今日調べていたら、尾瀬ヶ原がダムに沈む治水計画があったそうだ。

その水利権を持っていたのは、のちに東電となる会社で、そういえば東電小屋という小屋があったのを思い出す。群馬県内の木道にも、東京電力のマークが入っていた。

ダムの底に沈まなかったからこそこれほどのいい景色に出会えた訳で、ありきたりだけれど、小さな感動を覚えた。

 

鳩待峠〜山の鼻

 

 

鳩待峠から山の鼻までは少し長い下り坂となる。

鬱蒼とした森に足を踏み入れてすぐ、ならされた階段と木道を進むことになった。

 

 

道端には、トリカブトが咲いている。綺麗な花を付けてはいるが根元には毒があるらしい。

また、時折ブルーシートを被せ玉掛けの支度がしてある、人の背丈ほどの立方体の荷物が落ちているのを見かける。後で知ったことだが、これは木道の材料らしい。同じように、ブルーシートを被らずに剥き出しになった長い木道の素材もそこら辺に落ちている。どこから持ってきたのかと思うが、ヘリで運んだものらしい。

道は谷間の川と同じ高さまで下っていく。途中、幾人ものラフな格好の観光客とすれ違う。あちらが普段の格好でいられると、途端にこれから登山をしますよという装備のこちらが恥ずかしくなってくる。戸倉まで車で来て、バスで鳩待峠に乗り継いで、尾瀬ヶ原を歩くというカジュアルな観光をする人たちなのだろう。

 

 

太い樹木の森を抜けると、ビジターセンターの前に出た。

 

山の鼻〜尾瀬ヶ原

 

ビジターセンターの中には、さまざまな動物の毛皮が展示してあり、直接触ることができた。そこに、クリアファイルに入ったコピー用紙が置いてあり、よく読んでみると熊の出没情報だった。ここ数ヶ月で何十回もの目撃があったらしいし、尾瀬ヶ原のど真ん中にも出没マークがある。おいおい、大丈夫なのかここは…と不安になりながらビジターセンターを出ると、尾瀬ヶ原に通じる道のすぐそばに鹿がいた。

 

 

人々が群がって写真を撮っているが、いくらなんでも人慣れしすぎじゃなかろうかこの鹿は。

こんなところまで来て、人と同じように写真を撮りたくない。(だからこの写真は友人が撮った。)歩いて行くと、すぐに開けた湿地帯へと出た。

 

 

 

 

そこにはただ広い湿原と、長く伸びる2本の木道だけがある。

左右の名前も知らない山、前には明日登る燧ヶ岳、背後には至仏山が聳える。

広いのに、子供の頃よりもやはりどこか狭く感じて、しかし遠くの景色に眺め入ってしまう。空には千切ったかたまりの雲がいくつも流れていて、遠くの方の木道の伸びていない場所を、明るくしたり暗くしたりしている。

遠く行きにくい場所の尾瀬だからこそ、わざわざ行くだけの価値があるのだと改めて思う。

ふと木道の足元を見ると、水たまりというには少し水が綺麗すぎる、湿地の水が留まっている。かと思えば、いきなり傍に池と呼べるくらいの大きな沼が出現する。

 

 


沼には蓮が浮いていて、いくつか花をつけている。

 

沼を見終わったら、また視線を遠くに移す。歩いた分だけ少しずつ燧ヶ岳が近づいて、至仏山が遠くなる。そんな景色が延々と繰り返されて、ちっとも飽きない。飽きないのはいいが、どんどん歩くペースがゆっくりになってしまう。

 

 

遠くに、雲の切れ間から陽の光が差している。

軽い休憩を挟みながら、景色を十分に堪能したところで、小屋が一軒だけ見えてきた。その後ろは森になっていて、もう尾瀬ヶ原の端まで着いたのかと疑問に思った。近づいてみると、そこは竜宮小屋で、今日宿泊する小屋まではまだ道半ばだった。ここで湿原がいったん森に遮られるのが不思議だ。そして、おそらくここより先には行ったことがない。もしかしたら、小学生の頃はこの竜宮小屋に泊まったような気もする。

 

 

小屋のそばを抜けると、橋がかかっていて、そこが群馬県福島県の県境になっていた。

福島県側に入ると、木道がひどく荒れていて、そしてなぜだか天気が悪い。数百メートル行ったところで、大粒の雨が降りはじめ、我々は慌ててレインウェアを取り出した。

そこからは二人なにも喋らず、荒れた木道をひたすら歩き続けた。2本ある木道のうち、どちらか1本は歩ける状態になく、左右に飛び移りながら、燧ヶ岳の方向へと進んでいく。先ほどまでも思っていたが、燧ヶ岳に近づくにつれて、段々とあんなに高い山に登れる気がしなくなってくる。近くで見ると、ものすごい圧迫感だ。

 

 

そうして無言で歩いていると、正面に何軒もの小屋の集まった箇所まで到着した。今日泊まるのは、木道から入って真正面の彌四郎小屋である。雨は少し弱くなっていた。

 

彌四郎小屋

 

本館正面の玄関のすぐ脇に、記帳するスペースがあり、それを受付の小屋番に渡し、宿泊料を払って夕食と風呂の説明を受ける。燧ヶ岳への登山道はぬかるみがひどいと登れたものではないらしく、もしかしたら明日は行けないかも、と言われた。朝5時に出発するため、朝食はとれないことを告げると、慣れた感じで軽食にして夜のうちに渡すと言ってくれた。

 

 

個室の部屋は別館であった。部屋が埃っぽかったためか、私だけくしゃみが止まらなかったが、それ以外にはなんの不満も無い、むしろこんなに至れり尽くせりでいいのかというほどのいい小屋だった。風呂は循環式ではないが、シャワーからお湯がちゃんと出るし、シャンプーもボディーソープも備え付けだ。先人たちのカケラが浮いているのが嫌なら、さっさとチェックインすればよいだけのこと。食事も、おひつに入ったご飯は少なめだが、そんなもの山の中なのだから仕方がない。そしてその割におかずは豪華で、どれを食べても美味い。風呂に入って晩飯を頂いて「いやぁ、贅沢だなぁ」と呟くと、友人は激しく同意していた。伊豆大島で泊まったあの奇妙な宿とは、比べるのが失礼なくらいだった。

18時にはやることがなくなって、二人して微睡んでいた。色々身支度をして、19時過ぎには寝てしまったようだ。日が暮れてからも、外では屋根を伝って落ちる雨粒の音がしたり止んだりを繰り返していた。