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おうちがいちばん

大島旅行記-1

出発

3月のある金曜日の夜、私は竹芝にいた。

新橋なのか、有楽町なのか、銀座なのか、その境目のあたりの居酒屋で会社の飲み会があった。その中では私が一番の新入りだったが、流行病の頃から飲み会は開かれていなかったため、1つ2つ上の先輩たちも含めて、なんだかみんなよそよそしかった。飲み放題の時間が終わる頃に、みんなそこそこに饒舌になっていった。そこはやはり現代の飲み会というか、任意参加の二次会は半分くらいの人数で開かれたらしい。

私は予定があるので、と断りを入れ、仕切りに腕時計を見ながら駅へと急ぐ。2週間ほど前に予約した船の出航時刻を気にしながら、小走りで新橋駅ゆりかもめのホームへ移動した。ゆりかもめの新橋駅と、隣の汐留駅は1kmも離れていないそうだ、とネットで調べていたらあっという間に竹芝駅に着いた。

 

 

まだ夜は少し寒いので、ターミナルの外で出航時刻を待つ人はほとんど見当たらなかった。前回ここに来た時も酒が入っていた気がする。これくらいでふらつきはしないが、ふらついた姿を見られるのが恥ずかしいなと思うから、いつもより余計にしゃっきりと歩いて、ターミナルの入り口へ向かった。出航は22時、あと1時間ほどの余裕があった。

 

 

受付で予約番号を伝えて、発券してもらう。受け取った券の乗船票に住所と名前、電話番号を記入する。これであとは船に乗り込むだけだ。屋内のベンチはほとんど埋まっていて、そこからあぶれて立って時間をつぶす人もそこそこにいる。やはり週末となるとこれだけの人数になるのか、それにしたってまだ海水浴ができる季節でもないというのに。ここにきて去年一昨年までの外出自粛のリバウンドが来ているのだろう。今までも、感染者が減れば急激に外に出る人が増えていたが、今回のはなんというかボリュームが違う。都内のビジネスホテルは以前に比べて値上がりしているのに、どこも満室らしい。私が島中の宿を探した時も、べらぼうに高いところとべらぼうに安いところしか残っていなかった。

 

前回、ここに来たのは2018年末だった。あの時は同じように夜行船に乗って新島へと向かった。

2020年から、私はある程度生活にも時間にも余裕ができる予定だった。わりかし好きなところへ旅行へしたりして、一人の時間を楽しめるはずだった。流行病は私の暇な時間を増やしてはくれたのだが、やっぱり思うように外出はできなくなった。これが少しでも収まったら、島に行きたいとずっと心に決めていた。新しく就航したさるびあ丸に乗りたいと心待ちにしていた。しかし新島で泊まった宿のHPを何度更新しても、島に医療資源は限られている、今は泊められない、という趣旨の文言がいつまでも載っていた。

2023年、さらに生活が変わって、今度は比にならないくらい忙しくなった。というよりも、都会で、あくまで一般的な社会人としての生活が始まっただけだった。平日ヘロヘロになって、土日に出かける気力すらなく、家でテレビ番組の配信を見ていた。その旅番組では、伊豆大島へとロケに行っていた。私は20年くらい前だろうか、家族旅行で大島へ行ったことがある。放送は、ごく最近の伊豆大島を回って名所を紹介していた。

その番組を観ていても、途中から内容が頭に入ってこなくなった。そしてそのうち、観るのをやめてしまった。これは言葉には言い表しづらい感情だった。子供の頃の思い出の中にある懐かしい景色を、こんな小さな画面の中で、人に見せられるかのように見たくはなかったのだろう。昔好きだった人を、久しぶりにSNSで見かけても直視できないような、、、それは少し違うかもしれない、いや明らかに違う。ともかく、その時に直感で、それならば自分の目で見に行こうと、そう決めた。旅の主たる目的は、島の風景の変化を、自分の目で確認するということだ。

 

乗船ターミナルで、旅の決心のことを回想していた。外の喫煙所で一服して、等級順に乗船の案内がされるのを外で待つ。しばらくして、特二等の案内がなされて私は乗船口へと向かった。

 

乗船

 

 

ターミナルの外で待っているうちに、船に乗り込む人の数はとんでもないことになっていた。これだけの人が乗ったら天下の三菱重工と言えども流石に沈むんじゃなかろうか。乗る人たちはどの島で降りるんだろう、私は一番初めに到着する大島で下りてしまうので、他の島に行く人が降りるのを確認することはできない。4年前に新島へ行った時とは違う、新しくなったさるびあ丸へと乗り込んだ。

就航から3年は経過しているが、まだまだ綺麗な内装であった。最後に乗ったのは4年前とはいえ船内の間取りや大まかな構造は、先代を踏襲したものだとわかる。入り口すぐのところにある、両側からクロスした急な傾斜の階段や、奥まったところにある特等室や特一等室の配置、自販機のカップラーメン、ドアがなく暖簾がかかったトイレ。ほとんどは、私の4年前の記憶のさるびあ丸と比べると、見た目が綺麗になっただけであった。ただ一つ、甲板で喫煙はできなくなっていた。船内の最上階にある食堂のすぐ脇に、小さな喫煙ルームがあって、みなそこに押し込められている。この世の中で喫煙所があるだけでありがたいとは思う。ただ、トイレと同様に喫煙ルームには扉がなく、煙が思いっきり廊下に出てしまっている、流石にこれは設計ミスに思える。これだったら喫煙者など外に出して仕舞えば良いのに。他の人は知らないが、私にとって気を遣って吸う煙草が美味いわけがない。

甲板に出て、出港を待つ。暗い空から少し雨が降り出していた。金曜日の夜から土曜日にかけて雨が降るらしい、と何日も前から分かってはいたが、船も宿も取ってしまっては引くに引けなかった。なんとか雨が止んでくれたらいいのに、と思っていると、そのうち同じように出港を待つ人たちが甲板に出てきて、海を眺めている。とにかく大勢の人がいてどんどんと騒がしくなり、屋根のある甲板の中央では座り込んで酒盛りも始まっている。それはそれで、微笑ましくも見えた。しかし男1人がカメラを持って佇む場所ではないなと思い、船がレインボーブリッジを通り過ぎるくらいまで居たところで、早々に寝室へと引き上げた。

 

 

トイレで歯を磨き、コンタクトを外してベッドに入った。特二等室は二段ベッドが左右に並んだ、昔の寝台列車でよく見るような構造である。しかし、寝台列車に比べると天井はかなり低い。船に乗り込んで荷物を置きにきた時には、同じスペースの他の3つのベッドは誰も来ていなかったのに、甲板から帰ってくるとすでにみなカーテンを閉めていた。私も同じようにカーテンを閉めて横になった。しばらくすると携帯の電波も届かなくなった。そういえば船内のどこかに掲出されているだろうWi-Fiのパスワードを確認するのを忘れていた。どちらにしろ基地局から離れすぎて、もう回線は届かないだろうか。画面をずっと見ていると、残ったアルコールが船酔いを加速させて良くない。目を閉じて船の動きを感じることにした。船の中にアリの巣のように張り巡らされた特二等のベッドでは、窓もないし船が一体どちらに向かって進んでいるのか分からない。甲板から歩いてきた経路と位置関係を、頭の中で整理し直して、そうか進行方向に並行に寝ているんだなぁと結論づけて、少し経ってそのまま眠ってしまった。

 

上陸

朝5時ごろ、いつもの仕事の起床時間と同じように目が覚めてしまった。朝日が見えるかと思って甲板に出ると、洋上は真っ暗で、遠くの方に島の港の灯りだけが見える。屋外の通路は濡れていた。海水ではなく、おそらく雨水だろう。起きている人はたくさんいるのかもしれないが、朝焼けも見えないので誰も出ていない。

 

 

まだアルコールが抜け切っておらず、また気持ち悪くなりそうだった。甲板に出ると朝日も見えないし何より海風が寒すぎる、しかしベッドで起きていると外の景色が見えず酔ってしまう。この朝の時間というのは、なんとも難儀だ。せめてもの、ということでベッドで横になり目を瞑って、着岸のアナウンスが流れるまで待った。このあと一悶着あったのだが、ここに書くのも恥ずかしいくらいのことであるので割愛する。私が何年後かにこの文章を読み直したとしても絶対に思い出せるのだから、残しておく必要もない。

 

 

船は6時に岡田港に着岸した。天気は相変わらず強い風と小雨で、下船する頃には少しだけ明るくなっていた。大島で下船する人はなんと300人もいたらしい。この人数がこれから島で方々に散らばっていくとは言え、あまりにも島の人口密度を増やしすぎはしないだろうかと意味なく懸念した。港には強い海風が吹き荒れて、頼りない折り畳み傘にじわじわとダメージを与えている。船から降りるまでゆとりを持って行動してしまったため、岡田港発のバスへはもうあらかた人が乗り込んでいた。目の前のバスの前で、乗務員が間も無く発車しますと叫んでいる。

寝起きの低血圧の頭で少し考えた。バスはフリーパスか現金払いしかできない、フリーパスなんぞ当然買っていない。満載のバスに乗って向かうのは、みんな大島温泉ホテルか元町港だ。人の多い都会で疲れているっていうのに、なんでこんな離島まで来て人と一緒に行動せねばいけないのか。元来低血圧なだけでなく、天気が悪く気圧も低いし、何より先ほどの一悶着ですこぶる機嫌が悪かった私は、意地を張って元町まで歩いてやろうかと考えた。大島は一周約40kmらしいから、岡田と元町の位置関係からして10kmもないだろう。とりあえず、現実的に歩ける距離なのかを調べよう、と考えたところでバスが2台とも発車した。もう選択肢は無くなってしまった。